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ヒストリー

「フランスにおいては、スタジオ アルクールで撮影しないうちは俳優ではない」ロラン・

バルトは『現代社会の神話』のなかでこう評しました。

 

それは今日なお明らかな事実です。20世紀のアート、文化、政治を担ったあらゆる著名人を

写真に収めてきたスタジオ アルクールは、今も変わらずその偉業を成し遂げ続けます。

 

熟練、秀逸、独自のノウハウが、スタジオのポートレートを神秘と伝説に彩られ崇高で時を

超越したアート次元へと引き上げます。何時でも« Harcourt Paris »のサインは厳かな印章の

ごとく、著名人と一般顧客を問わずポートレートに威厳をもって添えられてきました。

 

スタジオ アルクールのパトロンであるフランシス・ダニャンによれば、美しい痕跡、刻印

を残すことはアルクールの写真が担う使命ですらあります。

 

スタジオ アルクールの伝説は1934年1月15日に始まりました。コゼット・アルクール、本名

ジェルメール・ヒルシュフェルトという一人の女性がその立役者です。コゼットは1900年に、

ユダヤ系ドイツ人でフランスに暮らしていたパーシー・ヒルシュフェルトとソフィー・リー

ブマンの娘としてパリに生まれました。

 

第一次世界大戦が始まると一家は英国に移住したようです。

 

その後再びコゼット・アルクールの消息がつかめるのは1930年のパリ。コゼットは当時マニ

ュエル兄弟のスタジオで写真を学んでいました。

 

そして1933年にそこでジャック・ラクロワと出会います。

 

ジャックと弟ジャンのラクロワ兄弟は新聞社のパトロンでした。兄弟が1927年に設立した報

道誌系の新聞社は飛躍的な発展を遂げ、1928年創刊の一般大衆向け雑誌『Guérir』は大成功

を収めます。こうして二人は1933年にニナ・リッチの子息ロベール・リッチと共に、広告代

理店Pro-Publicité社を創業しました。

 

コゼットと出会ったジャックは、弟ジャンとロベール・リッチと共にスタジオ アルクール

を設立。そして同時にPro-Publicité社に付属するもう一つの写真館Pro-Photoを設立しました。

 

スタジオ アルクールの運営はコゼットに任されていました。評判はあっという間に広まり

繁盛していきました。パリ中の人々が自らの美しいポートレートで永遠を手に入れるべくス

タジオにやってきたのです。1938年になるとラクロワ兄弟はイエナ通り49番地の邸宅内に

二つのスタジオを統合します。

1940年の夏、第二次世界大戦が始まると、ジャック・ラクロワはコゼットを護るために彼女

と結婚します。二人は1946年に離婚しますがその後も生涯を共に過ごすのでした。大戦中の

ユダヤ人迫害から逃れるため、コゼットはパリを離れざるを得なくなり南仏次いで英国へと

移住します。そのような困難の下でもスタジオは存続し続けました。そしてドイツ占領軍か

らフランスが開放されると、コゼットはスタジオに戻り再び運営の指揮を執り始めたのです。

 

こうしてスタジオ アルクールは黄金期を迎えます。スタジオが撮影した女優俳優のポート

レートはラクロワ兄弟の新聞紙面、AFP通信社の配信ニュース、多くの映画館などいたると

ころに存在しました。スタジオはまた一般顧客向けの電話営業を初めて行ったパイオニア企

業の一つでもあり、撮影後のフォロー業務も完璧に組織されていました。さらにAFP通信社

のおかげもあって多くの著名人を惹きつけたのです。

 

そのうえ1957年には、ロラン・バルトが著書『現代社会の神話』の中で「フランスにおいて

は、スタジオアルクールで撮影をしないうちは俳優ではない」と記しました。

当時は80名ものスタッフがスタジオで働いていました。毎日およそ40名もの顧客が次々とや

ってきたのです。

 

しかしそんなスタジオの繁栄にも陰りが見え始めます。背景には日本製レフレックス・カメ

ラの登場とヌーヴェル・ヴァーグの到来がありました。

 

1969年になるとラクロワ兄弟は離別し、ジャックは単独でスタジオのトップに留まります。

1975年にはスタジオはオスマン通りに移転。そして翌1976年にコゼット・アルクールがそ

の生涯を終えると、ジャック・ラクロワは1980年にスタジオを処分しました。

 

その同年にラ・ペ通り9番地でスタジオを再生させたのはハリーリ兄弟でした。

 

その後もスタジオの所有者はたびたび変わり、トップの考えによってスタジオのスタイルは

伝統とモダンの間を行きつ戻りつしました。

 

文化大臣であったジャック・ラングの主導により、スタジオのネガとアーカイブは政府によ

り買い取られ、それ以降このアルクール・コレクションはサンシール要塞の建築・遺産メデ

ィアセンターに保管されています。2007年からはRMN国立美術館連合がその普及を担って

います。

 

2007年にスタジオ アルクールはフランシス・ダニャンが買い取り、以来カトリーヌ・ルナ

ールが経営を指揮しています。再び伝統が重んじられ、スター・フォトグラファーは存在し

ません。スタッフは例外なくHarcourtに仕えるのです。

こうしていつまでも同じスタイルを保ち、神秘に包まれたスタジオ アルクールの永遠性を

守り続けることができるのです。秀逸を守る伝統は時を超えたモダンの証しとなりました。

 

Studio Harcourt - 6 rue de Lota 75116 Paris - 01 42 56 67 67